宇治〜能登半島
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  ルート
   金沢市内〜金沢西IC〜(北陸道)〜親不知IC〜親不知ビアパーク〜親不知IC〜(北陸道)〜新潟中央jct〜
   (磐越道)〜郡山jct〜(東北道)〜盛岡南IC


4日目
(5月6日)
6時ごろ目が覚めた。シャワーを浴びてから仕度をして7時頃ホテルを出る。
金沢西ICで北陸道に乗って有磯海SAで朝食、ネギトロセットを食べる。
それから、いつも通りすぎてる『親不知』を見に行くことにした。
親不知ICで降りてみると、ICは海の上にあったのに気がついた。
降りてみてはじめて知りました。
近くにある『親不知ビアパーク』に行ってみると高速道の下を利用した道の駅になっていた。
駐車場の前は砂浜になっていて、日本海が一望できる。お店の方は開店の準備をしてる所だった。
あちこち散策してるうちに、どこからか誘導員の人達が出てきた。出るときは誘導されて出てきた。

親不知ビアパークにあったモニュメント
なんか歯の親知らずを連想した。

誘導員のお姉さん
美人であったので思わず撮影

親不知の模型

親不知
ちょうど隣の模型の部分

途中にあったトンネル
遠くの光が分かるかな?
『親不知』の方に行ってみるとトンネルの入口に駐車場があり
脇にはコミニュティロードというのがあって、自転車とかはトンネルを抜けずに
こっちを通るようになっている。少し行くと展望台があって、像が立ってたり、親不知の模型がある
模型を見ると絶壁の下のわずかな浜辺を行き来したようである。
駐車場に戻ってみたら、下まで降りて行く道があったのに気がついた。
早速降りてみる。急な坂を足元を気を付けながら降りていくと、途中にトンネルがあった。
反対側は崩れているが、こっちがわのトンネルは向こうまで通じている様で、ずっと向こうに光が見える。
きっと昔はここを通っていたのか、と感慨深かった。
下まで降りると、砂利の浜だった。満潮の時だった様で絶壁のギリギリの所まで波が来ていた。
干潮の時には上で見た模型の様に、ここにはいくらか浜が出きるのだろうけど
それほどの巾はないだろうと思う。こんな所を昔の人は通ってたんだな。と思うと
その苦労がわかるような気がした。
降りてきた道を登ると息が切れた。さすがにキツイ・・・・・
駐車場に着いた時には汗だくだった。
後は盛岡を目指すだけである。天気がいいのでドライブには気持ちがいいのだが
親不知ICから北陸道に乗って走ってたら、覆面パトカーが走ってるのに気がついた。
お世話にならないようにゆっくり走る。
米山SAで一休みして、ついでに燃料補給して出発。三条燕ICの辺りで新幹線と競争したがさすがに早い。
それでも追いついたと思ったら、あっちは駅で止まる為にスピードを落したのだった。
磐越道に入って阿賀野川SAで一休みして走り始めたら、携帯がなった。
会社から仕事の電話で、今日中にお客さんの所に寄って欲しいと言うことだった。
次の上川PAでお客さんに連絡とってみると、日が落ちる前に来て欲しいそうだ。
ゆっくり帰るつもりだったが、急いで帰る事になった。
磐越道抜けて東北自動車道に入るとかなり混んでいる。渋滞とは行かないまでも数珠つなぎである。
菅生PAでトイレ休憩して後は一気に盛岡まで・・・・ 
盛岡南ICついたのは5時ごろだった。お客さんの所に行く途中にせ〜こさんの店があるので
ついでにお土産渡しに寄った。5時半ごろ着いて見ると、話に聞いて想像したよりたいした事がなくて
20分くらいで用が済んでしまった。
これならば明日の朝でも十分間に合ったなと思ったが、お客さんには文句を言わず帰ってきたのだった。
家に着いたのが7時前。早速風呂を沸かして入ったのでした。

今回は2312kmの旅でした。

 【追記 05.6
この旅行はクラブの練習があったけど、運営を頼んで出かけたんですが、その時に初めて参加する人がいて、
それで携帯で連絡取りながら、出かけたのを思い出しました。アンビリーバボーで紹介されていた「たかしくん」が
亡くなった事が紹介されていて、駐車場で涙流しながらテレビを見たことも覚えてます。
見たいところが多すぎてかなり駆け足で回った旅行で、ついでにみゆきさんと言う金沢美人とも知り合った
かなり有意義だった旅行でした。
  
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