日本中央の碑 その1 | 日本中央の碑 その2 |
【追記 05.6】 日本中央の碑の存在はテレビの伊奈かっぺいさんの番組で知りました。その時は発見場所の傍に在ると案内されていたが 現在は4号線沿いの保存館に移されたと聞いて、この旅行に至ったわけです。 本当は発見された場所なんかも見て、古代のミステリーに触れるつもりでしたが、保存館が閉まってたことから当てがはずれ すごすごと戻ってきた旅行でした。 |
☆日本中央の碑 その2(2001.9.24) ルート 盛岡〜(4号)〜天間林〜上北町〜三沢〜八戸〜(340号)〜二戸〜(4号)〜盛岡 この日は3連休の最後の日、前の日から天気が良くて前に見ることが出来なかった 「日本中央の碑」を見ることに行く事にしたのでした。 夜は練習があるので早めに出る事にしました。天気も良いし、道も空いていて 快調に4号線を北上して、二戸市の『男神岩・女神岩』もはっきり見えました。 そういえば展望台があるはずと、注意しながら進んだけど入口が見つからず、 あきらめてどんどん北上しました。 金田一を過ぎた所で工事渋滞に引っかかり、青森に入って南部町でまたひっかかり 十和田では歩道工事とかで市内抜けるのに1時間近くかかって、おまけに 日本中央の碑保存館は工事区間になっていて、ようやく駐車場に入ったのは11時30分頃でした。 駐車場には他の車が無いので、もしかしてまた休み?と慌てたが、ちゃんと開いておりました。 |
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うっすらと日本中央と書いてある |
200円払って入ると、中央にドンと石が置かれている。『日本中央』の文字は うっすらと書いてある。案内をいろいろと見ると、この石が本物かどうかはさておいて、 「日本中央の碑」は確かに存在しているようである。 そもそも坂上田村麿呂などが活躍した蝦夷征伐の頃に 「日本」は大和朝廷より東にある蝦夷地を指す呼び名で「日の本(ひのもと)」と 呼ばれていて、陸奥の最奥の地、都母(現在の上北地方)にここが中央だと 建立したという話である。 諸説はあるものの歴史を感じさせる物でした。 貸し切り状態で一通り見て、外に出るともう昼でした。 |
天気が良いので海沿いを走ってみようと、三沢から八戸を回ることにした。 天間林から上北町に抜けると右側に小川原湖が見える。そのまま進んで いくと湖水浴場と書いてあるのが見えた。 気になって行って見ると砂浜になっている。 向こう側に三沢基地が見えるなぁ、とのんびり眺めてると 戦闘機が低く翼をひるがえして飛んで行った。やっぱり基地の町なんだなぁ。 三沢空港の前を過ぎて行くと海に突き当たり、とりあえず砂浜に下りて 海を眺めて見る。日本海だと砂浜が続くのだが、太平洋は波が高いせいか ところどころ防波堤になっている。遠くにタンカーが見えた。 八戸で八食センターによる予定だったが、曲がり角を通り過ぎてしまい 戻ろうと曲がったら、一方通行でぐるぐる回るうちに、長根リンク (運動公園)の方に出てしまった。 戻るのも面倒なのでそのまま帰る事にした。 南郷村を抜けて二戸にでて、ついでに温泉にと思ってたんですが、 時間が無いのでまっすぐ帰ってきました。今回の走行距離 334km でした。 |
小川原湖 向こうに三沢基地が見える 戦闘機が飛んでいるのだが分かるかな? |
【追記 05.6】 前回に引き続き出かけて、発見場所も見てくるつもりでしたが、見つけかねてウロウロして上北町〜三沢町と走りました。 あとで調べたら、道一つ曲がらずに行ったら発見できたようです。ナビも目的地が定まらないと役立たずなんですね。(笑) それで海を眺めて走ろうと海沿いに出て八戸へ・・・・ せっかくだから、海の物を買いましょうと八食センターを目指したものの、曲がり角に自衛隊の車が停車していて、 見落としてしまい、かなり市内をうろうろしてた記憶があります。それというのも八食センターの場所をナビに登録してない せいなんですねぇ。f(^^;) この旅行から、なるべくナビに目的地を登録するようになりました。 |
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